ゆとり世代の普通の日記
昨日、掃除している途中でPCの電源を入れ、メールボックスを見てみると、大学時代同じサークルにいた友達からメールが来ていました。
わたしが「うつ」になってから何かと心配をして事あるたびにメールをしてくれている友達です。向こうも最近介護をしていたお父様をなくされたり、娘さんが卒業して新しい生活の準備をしたりと忙しい中、こちらの事を考えてくれて「最近はどうですが」というメールを送ってきてくれました。
朝一番にこういうものを見ると、起きた時しんどくても、今日一日が何やら「いい日になりそう」という予感がします。
変わってまた別の日、朝からとても暖かくいい天気なのです。しかし、起きてきた娘は不機嫌モード目いっぱい。自分の起きたかった時間に起きられず、準備に手間取り、いらいらしながらの登校です。こういう時は「さわらぬ神にたたりなし」で、できるだけしゃべらないようにしてスルーしていますが、ついかけてしまった一言に帰ってくる返事がまた「不機嫌感覚目いっぱい」の言葉。思わずこっちも「カチン」となりながらも「これ以上泥沼にはまらぬように」と、それ以上の言葉を避けていました。とりあえず小さな声でも「行ってきます」と言っただけでも良しとしようと思いながら、掃除を続けました。しかし、こういう日はどうも「もやもやしたものを抱え込んだ日」となってしまうのです。
たった一言、少しの文章のメール、それで毛で今日一日が決まってしまうなんて、なんと人間と言うか、私と言うのは単純にできているのだろうか。そんな風に考えてしまう朝の一コマでした。